川口流の歴史

初代 川口 秀子(1922年(大正11年)5月30日 – 2009年(平成21年)1月5日)は大阪に生まれる。祖父は侠客の水熊組の熊次郎。父の秀雄の一文字から秀子と名付けられる。母は芸妓。

初代川口秀子 幼少期

幼い頃から山村流、若柳流の踊りを習い、早くからその舞踊家としての天才性を開花させていた。
上京し、7歳頃から六代目尾上菊五郎、二代目西川鯉三郎に舞踊を習う。

初代川口秀子 幼少期

以来、神崎恵舞、花柳寿輔、坂東三津之丞、西川鯉三郎、尾上菊之丞、尾上菊五郎(六代目)などに師事し1939年(昭和14年)、19歳の時に日舞川口流を創流。

1957年(昭和32年)37歳の時に演出家の武智鉄二と結婚。共に舞踊会「白蝶会」を毎年開催し、実験的な創作の演目から古典作品まで幅広く扱い40回を越す上演を行う。

また映画にも女優として出演。武智が監督をした谷崎潤一郎原作の映画『紅閨夢』では谷崎松子に当たる政子の役を演じた。

写真奥が初代秀子、右が武智鉄二、手前左は川口小枝

二代目家元を一人娘の川口小枝(舞踊家・女優)が襲名。

初代秀子と二代目小枝

その後川口流三世家元として初代秀子の孫娘・川口千枝(かわぐち ちえだ)が2012年(平成24年)に川口秀子の名跡を襲名し今に至る。

なお、川口秀子と武智鉄二が開催した「白蝶会」は現在の川口秀子が受け継ぎ、今も鎌倉にて活動している。

初代と三代目川口秀子